440のどっか遠くへ行きたい

メッセンジャーである440MATUDOの日頃は省略しているイロイロ紹介!

大坂→東京!東海道五十三次と七次、其の一

物語をつくるのが好きだ。

さらのいうと、演出するのが一番好きだ。

いわば、嘘を脚色するのが滑稽で楽しい。

そこに、至福の楽しみを見出している自分が時々居る。。。

これは、2016年5月2-4日までの、出来事だ

言っておくと、これは事実だ。

脚色も演出もしていない。ただの記録だ。

この、ゴールデンウィークに大坂から東京まで自転車で一筆書きをやってみたんだ。

たぶん、500kmちょい!

そんな計画を、ふと立ち上げてみた。

後輩であり、同僚であり、社員である、デキソが「1年に1個は新しい事をやってみたい」の言葉に

すっかり乗っかってみた。

確かに、何かやってみたかった。こうやってブログを書く事によってタイピングの練習にもなるし、

効果は大きいなと。。。思っている。

では、何故「大坂から東京なのか??」ということに触れておかなければならない。

住居は、両国である。

どうみても、日本の道路の起点である日本橋からスタートが、起承転結の起にあたるのだが、

これは、名古屋に拠点を置くイノッチが、東京は森下に店を構える「イーストリバー」にて合同展示会を開いた時に話していた会話が、始まりとなる。

この時に、以前イノッチは行商の旅を、名古屋から東京まで行脚したの聞き、

それはそれは面白かったので、話し込んだ際に「東京の人は東京大坂やるけど、その逆はやらないよね」

そんな事を話していた覚えがあった。

「やるなら大阪から東京か。。。」

やるのは老後か、隠居になってからかと思っていたのだが、思いも寄らぬ早さで実現出来てしまった。

まぁ、遡ること2013年11月も終わりに、東京ー名古屋自走の旅を断念していたからだ。

いつかやる。は絶対やらない。

そんなのは嫌なので、やることにした。

上記の事も含めて、一度に纏めてみた。

さらに、次に挙げるのは自分への課題だった。

それはコーラスラインに出てくるような

「よくわからない、意図はないんだけど、いつかこの記録がエネルギーとなって帰ってくると思うんだ」

とはおもったのかどうかは、分からないのだが、、、、

大阪を大坂と呼び、起点となる「高麗橋」から、東京は江戸の「日本橋」まで、

旧東海道をトレースし、尚且つ「東海道五十三次」に登場する宿場町の「本陣跡」を撮影し、ソーシャルネットワーキングする。

という、自分ルールを設定してみた。

結果は、「疲れた」

色々と、ルールに綻びがあった。それは課題が多すぎたため、結果大坂ー東京間を600km

走る事になってしまった。

さて、ソーシャルネットワーキングに関しては、フェイスブックやインスタグラムにハッシュタグで、‪#‎旧東海道トレース‬ で遡って見てみて下さい。

‪#‎wcuplife‬ ‪#‎revenbikes‬ ‪#‎shimano‬ ‪#‎di2‬ ‪#‎topeak‬ ‪#‎東海道五十三次‬ ‪#‎東海道五十七次‬ ‪#‎旧東海道‬ ‪#‎garmin‬ ‪#‎edge520‬ ‪#‎champsysjp‬ ‪#‎champsys‬ ‪#‎江戸五街道‬

以下は、オフショットを織り交ぜながら記録を説明していきます。

さて、メッセンジャー「マツド」は、「旅人」に変身して旅の始まりにやってきました。

機材は、REVENBIKEとCHAMPIONSYSTEMのウエア類とノースフェイスのランザックです。

この、ランザックは急遽用意したんだが、最後までパワーを発揮して重宝しました。

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↑これは、大坂自転車乗りの起点として引用される「高麗橋」である、

しっかり原票もあるんだが、大坂人っぽくない感じがした。ひっそりとした所にあるし、もっと目立つ所にあるのかと思いました。

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↑やっぱり、旅のスタートは日の出からだよと良いながら、なんちゃら橋を渡りました。

ここFUJIの撮影で来た所だな。

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↑現地の人からするとなんて事もない「段」なんだが、これは、文禄堤といって江戸の時代、この土手を京都から大坂まで繋いでいた史跡でした。そこを走りながら時代を溯りはじめてゆきます。

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スタートしたばかりなので、テンションだけは高い執筆者の「ふでまめ」ことマツド。。。

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やっと、三条大橋まで辿りつく、この時点で5時に出発して10時前、既に予定が大きくずれ始めていることに

気付き、少し焦る。。。

この駅伝の碑を改めて読んでみたが、凄いな3日間で上野京都を走っていたそうな。

どんな剛脚だよ。。

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路面電車は、いつ見ても風情があって良いですね。これも旧東海道を走っているから出会える風景です。

これは、東京を出てすぐで、「本陣跡」を見つける感覚を見つけている所ですね、あっちに行ったりこっちに行ったり、何を見つけてどう動くか。。。たぶん30分くらい探したような。

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旅人になりきっていたので、普段足を伸ばさない所にも、自然と向きますね。

これは、鈴鹿峠旧東海道ですね、通常はバイパスにトンネルがあって、そこを通るんだと思うんですが、

見上げると道があるではないですか!?GARMINに入っている、

旧東海道も上を指しているではありませんか!

ということで、上に行きましたら、案の定階段と崖と。。。

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これは、つづら折りの途中なんですが、傾斜がすごかったです。

 
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素直に考えれば、すぐ気付くのですが、これは所謂「登山道」ですね。

そうなんです、旧東海道は「道」ってだけあって決して舗装はされてません、

階段や海路であったりと、様々な「道」で構成されています。

宿場町に伝馬があったので、馬もここを通っていたのかと思うと、

その後の、箱根の峠がいかに難所であったかを、想像せずにはいられません。

 
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↑ここは比較的緩やかな傾斜で階段では無い場所、前後輪ロックのまま降りてこれそうです。

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最初の、難所鈴鹿峠を越すとすぐにやってくるのが「坂下宿」その後、麓の拓いた所にあるのが「関宿」

ここは、町全体が宿場町を町おこしとして、有効活用をしているので、建物一つ一つの作りに拘りがあり、まさに当時を振り返らんばかりの景観で気持ちが良かった。

と、ここまでは気分も良かったのだが、ここから名古屋までの区間は、爆弾級の低気圧の影響で東風が強く吹いたのも相まって急激にペースダウン、その後東海道唯一の海上路の「七里の渡し」まで辿り着いた。

もう雨風で心も擦り切れた、豊橋まで行きたいけどストップすることにした。

東海道を走る上での、自転車乗りの寄り所は、「サークルズ」だと思う。

ここは、Early Birds Breakfastが食べられるしなんでも揃っているのでオススメだ。

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とりあえずの宿を探すべくフラフラしていたら、見つけました。

サークルズ界隈の安宿というか、雨風凌げる程度を求めて、

金町駅前にある、カプセルホテル(3000円)に決定。

生姜焼き丼と、名古屋っぽい「一口味噌カツ」で腹ごしらえ!!

前夜も泊まったんだけど、カプセルホテルって未来の宿場町なのかね!?

この東海道の旅は、次回へ続く。