旧中仙道トレース其の五
新町宿[高崎市新町]
全く記憶にありませんが振り返ってみたいと思います。
ここまで晴れで調子良く進めてたんだけど、ここで雨が降り出したんだよね。
本陣跡は広大な駐車場を有したマーケットにひっそりとありました。中山道沿いだが小さかったのでみのがしました。
初めての昼食は蕎麦
旧中山道をトレースしていると、民家や寺、神社はあるものの現代の生活道路ではないので食事を探すのに少し苦労します。たまに現中山道の国道17号合流しながら行くのですがすかさず食事所を探します。中山道といえば蕎麦かな?見つけた蕎麦屋へ。
使い込まれたテーブルにざるそば。笊が良いね。
高崎宿[高崎市]
高崎宿本陣跡は宿場町はずれの京都寄りにありました。
茶屋本陣なので微妙に違っているのかもしれませんね。
通り雨もやりすごし気温が徐々に上がってきました。
本陣書院現存です。
和宮が当時宿泊したとされる書院本陣の現存です。貴重ですね。
小説好きな自分としては、和宮の行列というと、島崎藤村の『夜明け前』の描写が思い出されます。「この宮様は婿君(十四代将軍徳川家茂)への引出物として、容易ならぬ土産を持参せられることになった。『蛮夷を防ぐことを堅く約束せよ』との聖旨がそれだ。」と書いています。
山間部を通る険しい道ですが、東海道の桑名の七里の渡しのように海難事故の心配や川止めの不安も少ないので、「女性は中山道を通ることが多い。」というイメージから「姫街道」と呼ばれています。
安中宿[安中市]
この立て看板は郵便局の敷地内にありました。中山道沿いではあるのですが、見つけるのに大変苦労しました。旧東海道を経ているのでこういったトラップには慣れていますが嗅覚がまだ戻ってきていませんね。このポーズはダウンタウンのまっちゃんが日本郵便のキャラクターで「バカまじめな男」としてCMに出てたので似たポーズをしてみました。
妙義山[安中市]
川沿いに出たら見渡すかぎりの抜ける景色と妙義山に思わず溜め息
日本三大奇景の一つとされる山だそうでいくつものピークから成り、最高峰は表妙義稜線上の相馬岳(1,103.8m)で、また妙義山系全体の最高峰は裏妙義に聳える谷急山(1,162.1m)らしい。
松井田宿[安中市松井田郵便局前]
事前に集めた資料には松井田宿は消滅したらしいと記録が残っていたので、記録と経験を元(宿場町の本陣は、その宿場町の顔役が役目を受けていたので中心地にあることが多い)に記念写真を撮ろうとしたら真上に発見!!ビックリな1枚が撮れました。
坂本宿[安中市]
坂本とか言っちゃてー。と前の松井田宿から傾斜は始まっていたので坂中だろーと思っていたがこの後碓氷峠が待ってたのでした。碓氷峠は、群馬県安中市松井田町坂本と長野県北佐久郡軽井沢町との境にある日本の峠で標高は約960メートル 。信濃川水系と利根川水系とを分ける中央分水嶺である。峠の長野県側に降った雨は日本海へ、群馬県側に降った雨は太平洋へ流れる。
この撮影後土砂降りに、と同時に急激に気温も下がりはじめた。
通称「めがね橋」煉瓦アーチ橋で径間数4、長さ91m、高さ31mで国内最大の煉瓦づくりアーチ橋。明治25年に完成、アプト式鉄道を支えてたが、昭和38年新線開通に伴い廃線となりました。平成5年に国の重要文化財に指定され、平成13年廃線敷を利用した遊歩道「アプトの道」として整備され、現在は橋上を歩くことができます。
アプト道[安中市]
旧中山道ではないが魅力的なトンネルが見えたので、おもわず駆け上がってみた。自転車は乗車出来ないので手押しで歩いてみる。
軽井沢宿[軽井沢町]
碓氷峠を越えて切り裂くような寒さの中、軽井沢宿に到着
この宿場町は中山道とは丁字に構成されていた、何故なら本当の旧中山道碓氷峠は登山道なので現碓氷峠とは回り込むように敷かれていたのであるからですね。なので本陣跡は立地的にも注目されないままだったので廃れてしまったが明治天皇が昼食を取られたことを期に現在の興隆を作ったとか。。。
この場所は軽井沢繁華街の坂の上あたりにありました。
沓掛宿[軽井沢町]
民家です。この前で本陣跡の石碑や看板を探している時に初見は「本陣」さんって表札珍しいねって話してました。で次の瞬間「あっ」ですよね。
江戸の当時は難所であり荒天時は人も荷も足止めされた碓氷峠の入口であることに由来し、両隣の軽井沢宿および追分宿と共に浅間三宿と呼ばれて栄えたそうです。
追分宿[軽井沢町]
圧倒されそうな目前の浅間山を眺めながらくだり基調にペダリングしないので、とにかく体温が下がる。寒かった日も傾いてきたのでそろそろ宿を探す。この時の目標である陽がでているうちに軽井沢を越えることが出来たのでもう少し足を伸ばしてみる。
北国街道(北陸道)との分岐点でもあり「追分」の名はこれに由来。元禄時代には旅籠屋71軒、茶屋18軒、商店28軒を数え、飯盛女も最盛期には200~270人もいたとされるほど栄えた。旧脇本陣の油屋は堀辰雄の小説『菜穂子』、『ふるさとびと』に登場する牡丹屋という旅館はこの油屋がモデルだったみたい。ウィキ参照
小田井宿[御代田町]
くだり基調は気分も上々!標高もだいぶ下がってきたので心にもゆとりが出来始めた。本陣跡を探しながら自分達の宿場も探す。。。
参勤交代で大名が北国街道との分岐点でもあった追分宿で宿をとる際、小田井宿は姫君や側女たちの宿にあてられることが多く「姫の宿」とも呼ばれたらしい。
岩村田宿[佐久市]
岩村田藩1万5千石の城下町であり商業の町であった。宿場の本陣は存在したが、大破し、その後も再建できず旅籠も最盛期で8軒と少なく当時としては小さな宿場町であったらしいが、現代は上信越自動車道(佐久IC)と北陸新幹線(佐久平駅)が交差している所で街全体が栄えている。本陣は無くテンションガタ落ちだったが無事格安ビジネスホテルを見つける事ができホッと笑顔になった時の一枚。
さて一日目はここで終了になりました。
ここまでおよそ190kmほどのこり400km。。。
旅はまだ始まったばかりである。
其の六へ続く