旧中仙道トレース其の三

さて、旧中仙道トレースの旅が始まりました。
スタート地点に立つまでには、長い、長い準備があるのでした。

 

さて、今回の旅は2名での旅です。
後輩メッセンジャーのジャンボ君です。
我がチームのエースでして、デリバリー会社以外、一見共通点の無い二人ですが、
タイミングを合わせたかのように同じタイミングでオーダーフレームが完成するのを聞きつけました。
その名は、「VIVALO」詳しくはRE.PRODUCTS を見てみると詳しく分かりますが、
ジャンボ君に中山道の道中を説明した所、「面白そう」の一言で快諾!
いよいよを以って旅が楽しくなってまいりました。

さぁ、新車VIVALO2台で長い長い650kmの旅がはじまりはじまり〜!!!

日本橋中央区日本橋

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何枚も掲載し目を通していると思いますが、メッセンジャーの中央である東京/中央区日本橋は、日本の国道の「道路原票」が設置されている。
「道路人」の聖地となっている為、平日は崇拝者の多くが写真に納めているのをよく見ています。

旅人一行は、4号に沿って神田方面に足を進めました。
日本橋を出て直ぐは、旅が始まった感覚はありません、デリバリーエリアなので、感動無しです。

4号から17号へ〜

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本郷までやってくると右側に、東京大学が見えてきます。今回matudoの乗るロードディスク仕様のカラーは「ウルトラマリン」となっていますがこのカラーと東京大学や赤門は密接な関係で成り立っています。詳しくは後日談で紹介したいと思います。


板橋宿[板橋区仲宿]

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板橋宿ですが、最初から見つけるのに時間が掛かりました。
基本は宿場町の街道沿いに本陣跡の石碑が設置されているのが基本ですが、ここは余程大きい宿場町だったのか、本陣跡もヒッソリとしていました。
旧道をトレースしていくと分かるのですが旧道には独特な曲線があります。
何故なら、当時は町と町を繋いで出来たのが道で道路があっての街とは少し違った趣があるようです。

 

中山道

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いよいよ旧中山道本線の標識がデカデカと表示されるようになりました。
これを見つけて、いよいよ長い旅路が始まるのだなと、始まってもいないのに既に情報過多になった頭と現実を比べて何故か郷愁な思いに駆られました。さて残り600km
ですよ~!!

 


して、旧道とは。。。

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古来江戸より続く「五街道」は丁寧に保存されています、それがどんな構造であってもです。ここはオーバーパスの袂で、こんな高さでも旧道の為なら信号も設置しますし何がなんでも貫いていきます。
というのは冗談ですが、もし近所になんでこんなのが存在するの?といった路が存在した場合はもしかすると歴史が刻まれているかもしれませんね。


蕨宿[蕨市中央]

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蕨宿の街道にやってくると一気に旧東海道の記憶が蘇ってきました。
丁寧に舗装された街道と宿場町を彷彿させる商店や建物が立ち並ぶ。
この宿場町本陣の門扉も綺麗に複製されて保存に意欲的な姿勢にテンションも上がってきますね。この日は植木市があるらしく人や車の往来で慌ただしかったです。

浦和宿[浦和区高砂

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浦和宿は、早速迷いました。
理由は簡単です。
それよりも重要なのがあるからです。
サッカーですね。
街道沿いにはホームチームの色に飾られ、それを目的としない自分からは五月蝿くも感じました。
と、そんな風に思い至った自分にとてもビックリし、徐々に旅人になっていくのだなと実感していきました。
そんな街道の喧騒の横にヒッソリと明治天皇御在所石碑が公園に鎮座していました。

明治天皇御在所石碑とは。。。
「めいじてんのうあんざいしょ」これは、各街道の本陣跡を捜索するに密接な関係です、時代は違えど当時の旧家や大きな商家に泊まることが基本とされていました。
ですので、本陣跡や脇本陣跡が見つけられなかった場合は同時にこの明治天皇行在所石碑を探していくと見つけられたりします。時代によっては本陣跡を残すよりも、天皇がお泊りになられた事実の方が末代までの誇りとする風潮もあったのだと思います。

さてお次が大宮宿ですね。
其の四をお楽しみに!
ではでは
またね
チャオ(・∀・)